メンデルの「因子」から「遺伝子」へ
1866年、オーストリアのブリュン(現チェコのブルノ)の修道士グレゴール・メンデルは、約2万8000株のエンドウを交配し、形質は混ざり合わず対になった「因子」として伝わり、優性と分離の法則に従うことを発表しました。この論文は34年間ほとんど忘れられていましたが、1900年にド・フリース、コレンス、チェルマクがそれぞれ再発見しました。1909年、デンマークのヴィルヘルム・ヨハンセンがこの因子を「遺伝子(gene)」と呼び、1910年にはトーマス・ハント・モーガンが白眼のショウジョウバエの突然変異を使って遺伝子が染色体上にあることを示しました。ダーウィンの自然選択とメンデル遺伝学は、1930〜40年代の「総合説」で一つになりました。
遺伝子の正体と働き
1941年にビードルとテータムは「1遺伝子が1つの酵素をつくる」という仮説を、1944年にオズワルド・エイブリーは遺伝物質がたんぱく質ではなくDNAであるという証拠を示しました。1953年にワトソンとクリックがDNAの二重らせんを明らかにすると、遺伝情報はA・T・G・Cの4つの塩基の並びとして保存され、複製されることがはっきりしました。遺伝子はRNAに転写され、RNAはたんぱく質に翻訳されます。1961年、ジャコブとモノーは細菌が必要なときだけ遺伝子をオン・オフするというオペロン説で「遺伝子発現の調節」を明らかにしました。同じ遺伝子を持つ細胞でも、どの遺伝子を働かせるかによって脳の細胞にも皮膚の細胞にもなります。ABO血液型のように1つの遺伝子で形質が決まる場合もありますが、身長、知能、病気のリスクなど多くの形質は数多くの遺伝子と環境がいっしょに作用します。
ゲノム解読とゲノム編集
1976年、リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』で進化を遺伝子の視点から見る考え方を広めましたが、これは遺伝子が「利己的な心」を持つという意味ではなく比喩です。2001年、ヒトゲノム計画は約30億塩基対の概要配列を発表し、たんぱく質をつくる遺伝子は予想よりはるかに少ない約2万個で、ゲノムの2%あまりにすぎないことが分かりました。2012年、ジェニファー・ダウドナとエマニュエル・シャルパンティエは、細菌がウイルスを防ぐしくみから、狙ったDNAを切るCRISPR-Cas9技術を開発し、2020年のノーベル化学賞を受けました。2023年には、これを使った鎌状赤血球症の治療が初めて承認されました。一方、2018年に中国でゲノム編集された赤ちゃんが生まれて国際的な批判を浴び、生殖細胞の編集をめぐる倫理が大きな論点になりました。遺伝子検査の結果は確率を示すにすぎないので、解釈は専門家に相談してください。
よくある質問
- 遺伝子とDNAは同じもの?
- DNAは遺伝情報を担う分子全体で、遺伝子はそのうち特定のたんぱく質やRNAをつくる情報がある領域です。本にたとえるとDNAは本全体、遺伝子は文や段落です。
- 性格や知能も遺伝子で決まるの?
- 双子研究によれば遺伝の影響は確かにありますが、数千の遺伝子の小さな効果と環境・経験がいっしょに働きます。特定の「知能遺伝子」1つが決めるわけではありません。
出典確認日:2026-10-26
参考文献
- Mendel, G. (1866). Versuche über Pflanzen-Hybriden. Verhandlungen des naturforschenden Vereines in Brünn, 4, 3–47.
- Johannsen, W. (1909). Elemente der exakten Erblichkeitslehre. Jena: Gustav Fischer.
- Morgan, T. H. (1910). Sex limited inheritance in Drosophila. Science, 32(812), 120–122.
- Beadle, G. W., & Tatum, E. L. (1941). Genetic control of biochemical reactions in Neurospora. PNAS, 27(11), 499–506.
- Avery, O. T., MacLeod, C. M., & McCarty, M. (1944). Studies on the chemical nature of the substance inducing transformation of pneumococcal types. Journal of Experimental Medicine, 79(2), 137–158.
- Watson, J. D., & Crick, F. H. C. (1953). Molecular structure of nucleic acids: A structure for deoxyribose nucleic acid. Nature, 171(4356), 737–738.
- Jacob, F., & Monod, J. (1961). Genetic regulatory mechanisms in the synthesis of proteins. Journal of Molecular Biology, 3(3), 318–356.
- Dawkins, R. (1976). The Selfish Gene. Oxford: Oxford University Press.
- Lander, E. S., et al. (International Human Genome Sequencing Consortium). (2001). Initial sequencing and analysis of the human genome. Nature, 409(6822), 860–921.
- Jinek, M., et al. (2012). A programmable dual-RNA-guided DNA endonuclease in adaptive bacterial immunity. Science, 337(6096), 816–821.
