概念とリプスキーの問題意識
リプスキー(1980年)は、第一線職員を市民と直接やりとりし、かなりの裁量をもつ公務員と定義しました。彼らは、誰が福祉の給付を受けるか、誰を取り締まるか、どの生徒により注意を払うかといった決定を毎日下しています。法や規則はあらゆる状況をあらかじめ定めることはできず、人を相手にする仕事には判断が必要なため、裁量は避けられません。リプスキーは、こうした決定が積み重なって事実上の政策になると考え、第一線職員を「政策決定者」と呼びました。これは、上で決められた政策がそのまま実施されると想定する伝統的な官僚制モデルと対照的です。
業務条件と対処メカニズム
リプスキーは、第一線職員が慢性的な資源不足、際限なく増えるサービス需要、あいまいで互いに衝突する目標、成果を測りにくい環境のなかで働いていると指摘しました。こうした条件のもとで、彼らは業務をこなすために「対処メカニズム」をつくります。待ち時間を延ばして需要を減らしたり、扱いやすい事例を先に処理したり(クリーミング)、市民を定型化されたカテゴリーに分類して処理したりするといった方法です。こうした対処は業務を可能にしますが、サービスの質を下げ、不平等を生むこともあります。タマーズら(2015年)は、第一線職員の対処行動を、市民に近づく、距離を置く、対立するという形で体系的に分類しました。
裁量、説明責任、デジタル化
メイナード=ムーディとムシェーノ(2000年)は、第一線職員が自らを規則に従う「国家の代理人」としてだけでなく、市民がどのような人かについての道徳的判断にしたがって行動する「市民の代理人」として語ると報告しました。ヒューペとヒル(2007年)は、彼らが上司、専門職の同僚、市民など複数の方向に責任を負うと考えました。タマーズとベッカーズ(2014年)は、裁量が公務員の政策実施への意欲を高め、市民にとってより意味のあるサービスを可能にすると報告しました。一方、ボーベンスとズーリディス(2002年)は、情報技術が判断を自動化することで、裁量が第一線からシステム設計者へと移っていると分析しました。ブロドキン(2012年)は、新公共経営の成果管理が第一線の裁量と行動を変えてきたと指摘しました。
よくある質問
- 第一線官僚制を簡単に言うと?
- 警察官、教師、ソーシャルワーカーのように市民と直接接する公務員が現場で下す判断が積み重なって、実際の政策になるという概念です。法はあらゆる状況を定められないため、彼らの裁量が重要になります。
- 第一線職員の裁量はよいものですか、悪いものですか?
- 両面があります。裁量があるおかげで個人の状況に合ったサービスを提供できますが、資源が不足すると扱いやすい事例だけを処理したり、市民を差別的に扱ったりする問題が生じえます。
出典確認日:2026-10-26
参考文献
- Lipsky, M. (1980). Street-Level Bureaucracy: Dilemmas of the Individual in Public Services. New York: Russell Sage Foundation. 第一線官僚制の概念を生んだ原典で、裁量と業務の圧力のなかで公務員が実際に政策をつくるという中心的な主張を知りたいときに参考になります。
- Maynard-Moody, S., & Musheno, M. (2000). State agent or citizen agent: Two narratives of discretion. Journal of Public Administration Research and Theory, 10(2), 329–358. 第一線の公務員が規則よりも市民についての道徳的判断で裁量を使うという研究で、裁量の別の顔を理解するのに参考になります。
- Bovens, M., & Zouridis, S. (2002). From street-level to system-level bureaucracies: How information and communication technology is transforming administrative discretion and constitutional control. Public Administration Review, 62(2), 174–184. 情報技術が第一線の裁量をシステム設計者へ移すという分析で、デジタル時代の第一線官僚制を考えるのに役立ちます。
- Hupe, P., & Hill, M. (2007). Street-level bureaucracy and public accountability. Public Administration, 85(2), 279–299. 第一線の公務員が階層・専門職・市民など複数の方向に責任を負うという議論で、説明責任の問題を見るのに参考になります。
- Brodkin, E. Z. (2012). Reflections on street-level bureaucracy: Past, present, and future. Public Administration Review, 72(6), 940–949. リプスキー以後30年の研究を振り返り、新公共経営の時代の変化を指摘しており、研究の流れを整理するのに役立ちます。
- Tummers, L., & Bekkers, V. (2014). Policy implementation, street-level bureaucracy, and the importance of discretion. Public Management Review, 16(4), 527–547. 裁量が公務員の政策実施への意欲を高めるという実証研究で、裁量が必ずしも悪いものではないことがわかります。
- Tummers, L. L. G., Bekkers, V., Vink, E., & Musheno, M. (2015). Coping during public service delivery: A conceptualization and systematic review of the literature. Journal of Public Administration Research and Theory, 25(4), 1099–1126. 第一線の公務員の対処行動を体系的に分類した文献レビューで、リプスキーの対処の概念を最新の研究と結びつけるのに参考になります。
