背景:投票のパラドックス
18世紀フランスで、ボルダ(1781年)は順位に点数をつける方式を、コンドルセ(1785年)は選択肢どうしを一対一の多数決で比べる方式を提案しました。コンドルセは、3人がA>B>C、B>C>A、C>A>Bと選好すると、多数決でAはBに、BはCに、CはAに勝つという循環が生じることを発見しました。これがコンドルセのパラドックス、または投票のパラドックスです。個人がそれぞれ一貫した選好をもっていても、集団の選好は一貫しないことがあるという意味です。ダンカン・ブラック(1948年)は、選好が一つの軸上で山が一つの「単峰型」であれば循環は消え、中位投票者の選好が勝つことを示しました。
定理の内容
ケネス・アローは1950年の論文と『社会的選択と個人的評価』(1951年)でこの問題を一般化しました。選択肢が3つ以上のとき、社会的選好をつくるルールに次の条件を求めます。第一に定義域の非限定:個人がどんな選好をもっていても結果を出さなければなりません。第二にパレート条件:全員がAをBより好むなら社会もそうでなければなりません。第三に無関係な選択肢からの独立:AとBの社会的順位は、AとBについての個人の選好だけに依存しなければなりません。第四に非独裁:一人の選好が常に社会の選好になってはなりません。アローは、社会的選好が推移的であるという前提のもとで、4条件を同時に満たすルールは存在しないことを証明しました。多数決、ボルダ方式、決選投票など順位に基づくあらゆる方式が、いずれかの条件に反するということです。ジーナコプロス(2005年)はこれを短い証明にまとめています。アローは1972年にノーベル経済学賞を受賞しました。
拡張と解釈をめぐる論争
アマルティア・セン(1970年)は、個人の最小限の自由とパレート条件が衝突する「パレート派リベラルの不可能性」を示し、個人間の効用比較などの情報を加えれば不可能性を回避できると論じて、1998年にノーベル賞を受賞しました。ギバード(1973年)とサタスウェイト(1975年)は、3つ以上の選択肢では戦略的な虚偽投票を完全に防ぐ非独裁的ルールは存在しないことを証明し、ゲーム理論的な含意を加えました。メイ(1952年)は、選択肢が2つなら多数決が公平性の条件をすべて満たす唯一のルールであることを示しました。ウィリアム・ライカー(1982年)はこれらの結果をもとに「人民の意思」という概念そのものが不安定だとする自由主義的な民主主義解釈を打ち出し、公共選択論に大きな影響を与えました。一方、バリンスキーとララキ(2011年)のように、順位の代わりに点数や評定を用いる評価型投票はアローの条件の一部を回避できるとする研究もあります。
よくある質問
- アローの定理は民主主義が不可能だという意味ですか?
- いいえ。完璧な順位集約ルールは存在しないという意味であり、あらゆる投票制度が何らかの条件を一部あきらめる妥協をしていることを示しています。どの条件を緩めるかは制度設計の選択です。
- 選択肢が2つでも不可能性は生じますか?
- いいえ。選択肢が2つなら単純多数決がすべての条件を満たします。不可能性は選択肢が3つ以上のときに現れます。
出典確認日:2026-10-26
参考文献
- de Condorcet, N. (1785). Essai sur l'application de l'analyse à la probabilité des décisions rendues à la pluralité des voix. Paris: Imprimerie Royale.
- Borda, J.-C. de (1781). Mémoire sur les élections au scrutin. Histoire de l'Académie Royale des Sciences.
- Black, D. (1948). On the rationale of group decision-making. Journal of Political Economy, 56(1), 23–34.
- Arrow, K. J. (1950). A difficulty in the concept of social welfare. Journal of Political Economy, 58(4), 328–346.
- Arrow, K. J. (1951). Social Choice and Individual Values. New York: Wiley.
- May, K. O. (1952). A set of independent necessary and sufficient conditions for simple majority decision. Econometrica, 20(4), 680–684.
- Sen, A. K. (1970). Collective Choice and Social Welfare. San Francisco: Holden-Day.
- Sen, A. (1970). The impossibility of a Paretian liberal. Journal of Political Economy, 78(1), 152–157.
- Gibbard, A. (1973). Manipulation of voting schemes: A general result. Econometrica, 41(4), 587–601.
- Satterthwaite, M. A. (1975). Strategy-proofness and Arrow's conditions. Journal of Economic Theory, 10(2), 187–217.
- Riker, W. H. (1982). Liberalism against Populism. San Francisco: W. H. Freeman.
- Geanakoplos, J. (2005). Three brief proofs of Arrow's impossibility theorem. Economic Theory, 26(1), 211–215.
- Balinski, M., & Laraki, R. (2011). Majority Judgment. Cambridge, MA: MIT Press.
