概念の系譜
アージリス(1960年)は、工場の職長と労働者の間に、職長が干渉を控えれば労働者は生産性を維持するという暗黙の了解があることを観察し、これを「心理的労働契約」と呼びました。レビンソンら(1962年)は従業員と会社が互いに抱く、多くは口に出されない期待を強調し、シャイン(1965年)はこれを組織心理学の教科書で紹介しました。この考え方の理論的な土台はブラウ(1964年)の社会的交換理論で、人は経済的な取引だけでなく信頼と互恵に基づく交換関係を結び、受け取った分を返す義務を感じるというものです。初期の概念は従業員と組織の双方の期待を扱っていましたが、測定と検証が難しいという限界がありました。
ルソーによる再定義と類型
ルソー(1989年、1995年)は心理的契約を「個人と組織の間の相互交換の合意の条件について、個人が抱く信念」と定義し、個人の知覚に焦点を当てました。契約は約束についての信念なので、同じ組織の中でも人によって異なりえます。ルソーは契約を2つの類型に分けました。「取引型契約」は期間が短く範囲が狭く、成果と金銭的報酬の交換のように具体的です。「関係型契約」は長期的で、忠誠、成長機会、雇用の安定といった社会情緒的な要素を含みます。ロビンソンとルソー(1994年)は、入社後2年以内に回答者の半数以上が会社が約束を破ったと感じていたという結果を報告し、違反が例外ではなく日常的な現象であることを示しました。ルソー(2005年)はその後、従業員が個別に交渉して得る独自の勤務条件である「i-deals」へと研究を広げました。
不履行、違反とその帰結
モリソンとロビンソン(1997年)は、約束が守られなかったという認知的な判断である「契約不履行」と、それに続く裏切られた感覚や怒りといった情緒的反応である「契約違反」を区別しました。不履行は、組織が意図的に約束を破る「反故」、事情により守れない「能力不足」、そして双方の理解が食い違っていた「不一致」から生じえます。ロビンソン(1996年)は、契約不履行が信頼を低下させ、その後の業績と残留意図を下げることを示し、ジャオら(2007年)のメタ分析は、不履行が職務満足と組織コミットメントを下げ離職意図を高めること、そしてその関係が違反感と不信を介することを確認しました。コンウェイとブライナー(2005年)は概念の曖昧さと測定の問題を批判的に検討し、コイル=シャピロら(2019年)は非正規雇用とプラットフォーム労働の時代の研究課題を整理しました。この概念は公平理論や組織的公正の研究とともに、職場の信頼を説明する代表的な枠組みとなっています。
よくある質問
- 心理的契約を簡単に言うと?
- 契約書にはないものの、「頑張れば会社は昇進や成長の機会をくれるはずだ」のように、従業員が互いに約束したと信じている期待と義務のことです。
- 契約不履行と契約違反はどう違いますか?
- 不履行は約束が守られなかったと判断する認知的な評価で、違反はその判断の後に生じる裏切られた感覚や怒りといった感情的な反応です。
出典確認日:2026-10-26
参考文献
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