トゥキディデスの診断と概念の起源
トゥキディデスは『戦史』第1巻23章で、戦争を避けられないものにしたのは、アテネの勢力の伸長と、それがスパルタに引き起こした恐怖であったと記しました。彼は、ケルキュラやポティダイアをめぐる紛争のような直接のきっかけと、より深い構造的な原因とを区別しており、この区別は国際政治学の古典的な分析枠組みとなりました。ただしケーガン(1969年)は、戦争は構造的に不可避だったのではなく、双方の指導者の誤った選択が決定的だったと反論しています。アリソン(2017年)はこの診断を現代に当てはめ、過去500年間に新興国が覇権国に挑戦した16の事例を検討し、そのうち12が戦争に終わり、4つは戦争を回避したと主張しました。彼はこれを宿命ではなく警告として示し、米中関係がこの罠を避けるには意識的な努力が必要だと強調しています。
パワー・トランジション理論と覇権戦争論
トゥキディデスの罠は、学問的には以前からある理論を一般向けに表現したものといえます。オーガンスキー(1958年)は、国家ごとの工業化の速度の違いによって力の分布が変わり、不満を抱く挑戦国が支配国と同程度の力に達したときに戦争の危険が最も高まるとするパワー・トランジション理論を示しました。オーガンスキーとクグラー(1980年)はこれを実証的に検証し、タメンら(2000年)は21世紀の戦略に応用しています。ギルピン(1981年)は、国際秩序を支えてきた覇権国の力が衰えると、覇権戦争によって秩序が再編されると論じ、これは覇権安定論とも通じています。一方、レヴィ(1987年)やコープランド(2000年)は、衰退しつつある大国が手遅れになる前に相手をたたこうとする予防戦争の動機に注目しました。ミアシャイマー(2001年)の攻撃的リアリズムも、台頭する中国と米国の安全保障競争が激化すると予測しており、これは安全保障のジレンマの論理とつながっています。
批判と論争
ルボウとヴァレンティーノ(2009年)は、パワー・トランジション理論を批判的に検討し、歴史上の勢力交代は戦争の原因というよりむしろ戦争の結果として起こることが多く、その多くは平和的に行われたと指摘しました。チャン(2020年)は、アリソンの事例の選び方やコーディングを再検討し、勢力交代と戦争のあいだの因果関係は誇張されていると主張しています。ジョンストン(2003年)は、中国が既存の国際秩序を全面的に覆そうとする現状変更国家だという前提そのものに疑問を呈しました。また、核兵器による抑止、経済的な相互依存、国際制度の存在が、過去の事例と今日とを分けているという反論もあります。それでもこの概念は、米中関係をめぐる政策論議で最も広く引用される枠組みのひとつとなっており、ネオリアリズムとリベラルな国際政治理論とが競い合う主要な舞台にもなっています。
よくある質問
- トゥキディデスの罠を簡単に言うと?
- 台頭する大国と既存の大国が、力の逆転を前に互いを恐れ合い、戦争に陥りやすくなる状況のことです。古代のアテネとスパルタの戦争に由来する名前です。
- 新興国と覇権国の戦争は避けられないのですか?
- アリソン自身も宿命ではないと強調しています。彼が挙げた事例にも戦争を回避したケースがあり、核抑止や経済的な相互依存が過去とは違うという点、事例の選び方に偏りがあるという批判もあります。
出典確認日:2026-10-26
参考文献
- Thucydides. (1972). History of the Peloponnesian War (R. Warner, Trans.; M. I. Finley, Intro.). London: Penguin. (Original work c. 400 BCE)
- Kagan, D. (1969). The Outbreak of the Peloponnesian War. Ithaca, NY: Cornell University Press.
- Organski, A. F. K. (1958). World Politics. New York: Alfred A. Knopf.
- Organski, A. F. K., & Kugler, J. (1980). The War Ledger. Chicago: University of Chicago Press.
- Gilpin, R. (1981). War and Change in World Politics. Cambridge: Cambridge University Press.
- Levy, J. S. (1987). Declining power and the preventive motivation for war. World Politics, 40(1), 82–107.
- Tammen, R. L., Kugler, J., Lemke, D., Stam, A. C., Abdollahian, M., Alsharabati, C., Efird, B., & Organski, A. F. K. (2000). Power Transitions: Strategies for the 21st Century. New York: Chatham House.
- Copeland, D. C. (2000). The Origins of Major War. Ithaca, NY: Cornell University Press.
- Mearsheimer, J. J. (2001). The Tragedy of Great Power Politics. New York: W. W. Norton.
- Johnston, A. I. (2003). Is China a status quo power? International Security, 27(4), 5–56.
- Lebow, R. N., & Valentino, B. (2009). Lost in transition: A critical analysis of power transition theory. International Relations, 23(3), 389–410.
- Allison, G. (2017). Destined for War: Can America and China Escape Thucydides's Trap? Boston: Houghton Mifflin Harcourt.
- Chan, S. (2020). Thucydides's Trap? Historical Interstate Conflicts and Power Transitions. Ann Arbor: University of Michigan Press.
