帰納の問題とポパーの答え
18世紀、デイヴィッド・ヒュームは、どれほど多くの観察を集めても「次もそうなる」という一般法則を論理的に正当化することはできないという帰納の問題を指摘しました。白鳥を何千羽見ても「すべての白鳥は白い」は証明されませんが、黒い白鳥が一羽いればその主張は覆ります。カール・ポパーは『探究の論理』(1934年)でこの非対称性に注目し、科学理論は検証はできず、反証されうるだけだと考えました。よい理論とは「何が起こってはならないか」を大胆に禁じる理論であり、反駁の試みに耐えた理論も、あくまで暫定的に「験証」されたにすぎません。
科学と非科学の線引き
ポパーは『推測と反駁』(1963年)でアインシュタインの一般相対性理論を模範例に挙げました。この理論は太陽のそばを通る星の光がどれだけ曲がるかを具体的に予測し、1919年のエディントンらの日食観測(1920年発表)が外れていれば理論は捨てられていたはずです。一方で、精神分析やマルクス主義の歴史理論はどんな出来事も後から説明してしまうため反証不可能だと批判しました。反証可能性はオッカムの剃刀と並ぶ理論評価の代表的な物差しとなり、帰無仮説を棄却する統計的仮説検定の論理とも重なります。
批判とその後の議論
ピエール・デュエムとW・V・O・クワインは、理論はつねに補助仮説とセットで試されるため、予測が外れてもどこが誤りかは特定できないと指摘しました(デュエム=クワイン問題)。トーマス・クーンは『科学革命の構造』(1962年)で、実際の科学者は変則事例があってもパラダイムを簡単には捨てないと述べ、イムレ・ラカトシュは中核仮説を守る「リサーチ・プログラム」を、新しい事実を予測できるか(前進的)、後づけの修正ばかりか(退行的)で評価しようと提案しました。ポール・ファイヤアーベントは普遍的な方法そのものを否定しています。現在では確率的に信念を更新するベイズ主義も有力で、2015年の心理学の再現性プロジェクト以降は、事前登録など反証に開かれた研究の進め方が重視されています。
よくある質問
- 反証不可能なら間違った理論なの?
- いいえ。ポパーにとって反証不可能とは「科学的理論ではない」という意味で、「偽である」という意味ではありません。形而上学や倫理のように意味のある思考も反証不可能でありえます。
- 進化論は反証可能?
- ポパーも一時は疑問を示しましたが、のちに見解を改めました。たとえば地層の順序と矛盾する化石が一貫して見つかれば進化論は大きく揺らぐため、反証可能な理論とみなされています。
出典確認日:2026-10-26
参考文献
- Hume, D. (1748). An Enquiry Concerning Human Understanding. London: A. Millar.
- Duhem, P. (1906). La théorie physique: son objet et sa structure. Paris: Chevalier & Rivière.
- Dyson, F. W., Eddington, A. S., & Davidson, C. (1920). A determination of the deflection of light by the Sun's gravitational field. Philosophical Transactions of the Royal Society A, 220, 291–333.
- Popper, K. R. (1934). Logik der Forschung. Wien: Springer (Eng. The Logic of Scientific Discovery, 1959).
- Quine, W. V. O. (1951). Two dogmas of empiricism. The Philosophical Review, 60(1), 20–43.
- Kuhn, T. S. (1962). The Structure of Scientific Revolutions. Chicago: University of Chicago Press.
- Popper, K. R. (1963). Conjectures and Refutations. London: Routledge & Kegan Paul.
- Lakatos, I. (1970). Falsification and the methodology of scientific research programmes. In I. Lakatos & A. Musgrave (Eds.), Criticism and the Growth of Knowledge (pp. 91–196). Cambridge University Press.
- Feyerabend, P. (1975). Against Method. London: New Left Books.
- Open Science Collaboration (2015). Estimating the reproducibility of psychological science. Science, 349(6251), aac4716.
